冷戦終結の第2論争でわたしが注目するのは、戦略理論家のハル・ブランズ氏(ジョンズ・ホプキンス大学)による『大戦略は何が良いものか(What Good Is Grand Strategy? Power and Purpose in American Statecraft from Harry S. Truman to George W. Bush)』(コーネル大学出版局、2014年)とセレステ・ウォランダー氏(米ロ基金)が執筆した論文「西側の政策とソ連の崩壊(“Western Policy and the Demise of the Soviet Union”)」(Journal of Cold War Studies, Vol. 5 No. 4, Fall 2003, pp. 137-177)です。

ブランズ氏は、レーガン大統領のソ連に対する「大戦略」が成功したことを重視しています。レーガンは、ソ連が見た目より弱いことを見抜いており、政治、経済、軍事、イデオロギーの領域でソ連に圧力をかけることにより、その弱みを利用しました。その目的は、ソ連を崩壊させることではなく、アメリカに有利な条件で、ソ連の行動を穏健にすると同時に冷戦の緊張を和らげることでした。

この大戦略の1つの柱が、アメリカの大幅な軍事力の増強でした。レーガンは軍事力でソ連に有利な立場になることにより、それをテコにしてソ連を軍備管理に応じさせようとすると共に、ソ連を軍拡競争に引き込むことで、同国に余分な軍事費を使わせて、その経済にダメージを与えようとしたのです。

「戦略防衛構想(SDI: Strategic Defense Initiative)」や西欧へのパーシングⅡなどの中距離核戦力の展開は、その主要な手段でした。

こうしたレーガン政権の強硬策は、ソ連の政策変更を促しました。ゴルバチョフ政権は、INF全廃条約に合意して、アメリカより大幅な中距離核戦力の廃棄を余儀なくされました。かれは後に、パーシングⅡが「われわれのこめかみに突き付けられた拳銃だった」と書き残しています。また、SDIについて、ソ連の高官は「攻撃的兵器の増強で対抗できるだろうが、資源がますます希少になりつつある中での新たな大幅な支出になるであろう」と危惧しました(前掲書、121ページ)。