この難問に1つの答えをだしたのが、ケネス・オーエ氏(マサチューセッツ工科大学)です。かれは『国際関係理論と冷戦の終結』に寄稿した「冷戦を説明すること―核による平和への形態学的・行動論的適用―」において、リアリズムは中途半端な理論なので冷戦終結の事例では検証できないことを留保しながらも、国際システムがソ連の行動に与えた影響を理論的に説明しています。

すなわち、国際システムが安定していたからこそ、ソ連はその生き残りを強く懸念することなく、軍縮や東欧支配の放棄、経済改革などの大胆な政策変更に挑むことができたと主張しています。

「国際環境の性質、とりわけ核兵器の展開とそれによる長期のシステム中枢の平和は、ソ連内部の政治的・経済的自由化の重要な許容原因(permissive cause)であった」ということです(前掲論文、58ページ)。

国家は外部の国際環境に適応しようとします。すなわち、国際システムが危険か平穏かにより、国家がとる行動は変わるということです。前者の場合、国家は安全保障のために中央集権化を進め、国民の自由を制限して結束を図ると同時に資源を集中管理しようとします。

他方、後者の場合、国家は分権化を進め、政治的・経済的なリベラリズムの体制をとるようになります。1980年代、ソ連は核大国であった反面、経済が停滞していました。当時のソ連は生産性で日本やEC、アメリカに後れを取っていました。また、GNP比で15%近い軍事費や投資さらには東欧支配を維持する補助金や援助などが、消費を圧迫していました。

このような状況において登場したゴルバチョフをはじめとする新思考者たちは、東欧をソ連圏から解放すると共に軍備を縮小することにより、西欧諸国との関係改善と経済成長の回復を目指したのです。

衰退するソ連が、縮小戦略と国内改革を追求できたのは、核兵器の存在が「西側からの侵攻という主要な伝統的脅威」を消滅させたからだということです(前掲論文、74-76ページ)。こうした構造主義的な因果理論によるソ連の政策変化の分析は、論理的な説得力を持つものですが、経験的な検証において、やや弱いといえるかもしれません。

第2の波 —アメリカ勝利史観—