たとえば、道の駅ならはとの差だ。
道の駅なみえと道の駅ならはは、地域ごとの被災内容と、復旧や復興の内容に違いがあるのを端的に表している。おのずと、地域ごとに人々の考えや感情や立場が変化する。あたりまえだが、それぞれの被災地同士の関係にも、運と不運だけでなく利害の違いが生じる。そして、皆が一様に頭を抱えていた時代が終わったことで、地域や立場に生じた差や利害関係が拡大しているように見えた。
だが原子力災害を大げさに騒ぎ、処理水を汚染水と言い換え、復興再生土を汚染土問題化しようと目論んでいる報道機関や政治家は、あまりにも粗雑に「被災地」をひとくくりにしている。
ほっと大熊を出て、道の駅なみえを拠点にして、再びほっと大熊に戻る私は、そのたびネムノキの家の前を通り、他の場所でも花をつけたネムノキを見た。新天地とネムノキが象徴する葛藤を、私はどうしても整理できないままだった。
メートル原器と理解
私は相双地域と浜通りの過去から現在を知ろうとしている。
過去と現在を繋ぐための施設として東日本大震災・原子力災害伝承館があり、出来事の原点を知るために震災遺構・浪江町立請戸小学校がある。
請戸小学校は海から300mの位置にあり、震災当時は海岸から地続きだった。同小学校は15mに及ぶ津波に襲われただけでなく、原発事故のため住民に避難指示が出され、その後廃校となった。2021年に震災遺構として公開されるまで請戸小学校の周囲には長らく瓦礫が散らばり、雑草が生い茂り、池か湖のような大きな水たまりまであったが、現在はすっきりと整備されている。

請戸小学校 2017年10月

請戸小学校 2017年10月

震災遺構・浪江町立請戸小学校の体育館側から大きな水たまりがあった場所を臨む 2025年7月
近隣の津波による被害は大きく、請戸地区では死者127人、行方不明者27人を出したものの、請戸小学校の児童と教職員が無事避難できたことは何ものにも代え難い救いである。