「クラウゼヴィッツが戦略の分野を先取りしていたのは、アダム・スミスが経済学の分野を先取りしていた以上のものではなかった。けれども、かれら以降の数世代において、これらのそれぞれの分野で何が起こったのか。後者の例(経済学)では、理論と知識が途方もなく成長してきたし、今でも力強く成長している。前者の例(戦略)では、ほんの少しの成長か発展があるだけだ」

前掲論文、12ページ

約60年前のブローディ氏の嘆きは、約35年前のウォルト氏そして約20年前のベッツ氏の悲観論と重なります。

2点目は、戦略におけるアートの側面に関するものです。

「科学的方法は代替肢を探究することにおいて有用であり使われているが、まさに最終的な選択においては、そうではない。後者は究極的にはよい判断に委ねられているのであり、それはいうなれば特定の教化で育ってきた人物や集団の情報に基づく直感に頼っている。かれらの仕事へのアプローチは根本において、アーティストのものであって、科学者のものではない」

前掲論文、18ページ

要するに、戦略の最終判断はあくまでも生身の人間がくだし、科学はそれを手助けする大切な役割を果たすということでしょう。

メジャーリーグで大谷翔平選手は、二刀流のプレーヤーとして大活躍しています。打つのも投げるのも大谷選手です。見逃せないのは、かれの活躍は科学的なデータと方法に裏打ちされた練習と実践が支えたことです。野球から戦略の教訓を得るというと、奇異に感じる人も少なくないでしょうが、わたしは日本人メジャーリーガー第1号の村上雅則氏の以下の発言は、示唆に富んでいると思います。

「私たちの頃は、何が正解かわからないことも多く、“根性”や“勘”に頼ることも少なくなかった。比べて今はデータが細かく揃っていて、予め“答え”が見えていることも。後はそこに向かって、どれだけ努力ができるかが問われるのでしょう。大谷選手はそんな時代の申し子。最新の手法を取り入れ、高みに立つための努力を惜しまなかったからこそ、今があるのだと思います」