バリー・ポーゼン氏(マサチューセッツ工科大学)が、戦略の古典的研究で指摘するように、軍事組織の保守性や軍種を超えた国家戦略を編み出すには、シビリアンの介入が必要なのかもしれません。ただし、文民政治家や官僚が軍人より優れているとは限りません。1956年のスエズ危機におけるアンソニー・イーデン首相の対応は、おそまつなものでした。
イーデンは、イギリス統合参謀本部が迅速な武力介入の困難性を主張していたにもかかわらず、中東における「大国」としての権益を保持しようとしてエジプトとの戦争に打って出ました(イーデン内閣の政策決定過程については、小谷賢「スエズ危機におけるイギリスの政策決定と外務次官事務局」『国際政治』第160号、2010年3月参照)。しかし、結末は戦略的な大失敗でした。
ヴェトナム戦争を主導したロバート・マクナマラ国防長官の作戦行動としての段階的エスカレーション戦略も失敗でした。かれは「こんな小っちゃな戦争は両手を後ろに縛ったままでも勝てる」と声高に発言していたと伝えられています(公平を期していえば、軍民問わず大半のアメリカの政策立案者たちは、ヴェトナム戦争の行方には楽観的でした)。軍事の適切な専門知識に欠いたシビリアンは、国家の戦略的選択を間違えてしまうのです(前掲論文、156ページ)。
進歩が遅い戦略研究
ブローディ氏が戦略の科学的研究の重要性を主張してから、70年以上の時間が過ぎました。はたして、戦略は進歩したのでしょうか。専門家の見解は、残念ながら、否定的なようです。
ウォルト氏は、上記の書評エッセーをこう締めくくっています。「『戦略の科学』に向かう進歩は、せいぜい、ゆっくりした不確実なものであり続けるだろう」(前掲論文、165ページ)。
戦略研究で有名なリチャード・ベッツ氏(コロンビア大学)も悲観的です。かれは「戦略は常に幻想というわけではないが、しばしばそうである…政治家や将軍たちが見つけなければならない戦略についての解は、自信とニヒリズムの間のグレーゾーンにある」と結論づけています。ただし、かれは戦略を優れたものにするヒントを何点か指摘しており、これらは傾聴に値すると思います。