周知の通り、機関銃は防御側に利する兵器だといわれています。第一次世界大戦において、西部戦線で膠着状態が続き、おびただしい犠牲者を出した1つの要因は、機関銃により防御側が強くなったために、攻撃側が前線を容易には突破できなくなったことの帰結です。
戦略の困難性を論じる際には、その複雑性がよく指摘されます。確かに、このことは戦略の原理を発見しにくくする要因ですが、ウォルト氏は、それだけではないといいます。戦略がしばしば間違えるのは、その他にも原因があるのです。
第1の障壁は秘匿性です。国家は軍事力や戦争計画の情報を隠そうとします。なぜならば、敵国にそれらを利用されることを防ごうとするからです。仮説の検証には確固たるデータや証拠が必要ですが、戦略の理論を検証しようとしても、こうした国家機密がそれを難しくするのです。
第2に、戦略が政治領域に含まれることです。軍種や防衛産業、軍事アナリストといった集団は、戦略思想の形成に大きな役割を果たしますが、かれらは自分の立場を守ろうとするあまり、真実の追求より保身に走ってしまうことがあるのです。科学は自由な発想の交換により発展しますが、こうした政治性は、戦略の科学的な進歩を妨げてしまいます(前掲論文、147ページ)。
第3の障壁は軍種間のライバル関係です。陸海空といった軍種は、ときには他の軍種を犠牲にしてでも、自らの利益の促進を確かなものにしようとします。たとえば、アルフレッド・マハン提督は、シーパワーこそが帝国のカギを握ると見ていました。空軍独立論者だったウィリアム・ミッチェル将軍や空の英雄とうたわれたカーチス・ルメイ将軍などは、エアーパワーこそが勝利の不可欠な構成要素だと主張しました(前掲論文、148ページ)。
戦前の日本陸軍と海軍の相反は、日本の大戦略構築を阻害しました。軍事史の大家であるポール・ケネディ氏(イェール大学)は、次のように太平洋戦争時の日本の一貫しない戦略の欠陥を指摘しています。