サメ映画ルーキー:やっぱり自由なところですよね。でも完全に自由なわけじゃなくて、「サメを出す」っていう1つの縛りがある中で、新しいことだったり自分の好きなことだったりをやってる作品が多いので、作り手の意志が見えやすいんです。
「この人はこういうの作りたかったんだな」っていうのが伝わるのが僕は1番グッとくるので、単純に映像表現やストーリーが優れているものよりは、その作り手の痕跡みたいなのが逆にありありと見えてくるもの。その部分が魅力の一つなんじゃないかなっていう風に思いますね。
観客の“懐の深さ”とサメ映画の寛容さ
───中野さんはいかがですか。
中野:ちょっと話がずれるかもしれないんですけど、サメ映画のイベントに来てくださるお客さんがすごい独特なところかもしれません。
特に我々がルーキーさんと一緒にやってるような上映会なんかだと、 お客さんも優しい人が多いんですよね。なんか我々も上映始まる前に「作品がどんなものであれ、怒ったら負けだ」とかって絶対言うんですけど、それを理解した上で結構来てくださる方がすごく多くて。

中野:ですから、その懐の深さみたいなのを感じさせてくれる作品があるっていうのが、唯一無二のジャンルかもしれないと感じます。 サメ映画って排他的な雰囲気が全然ないように感じます。もう、ホントになんでもありです。
サメ映画は自由な方が面白い
最近はサメ映画でも、全部笑える方向に持っていくような映画の方がむしろ多かったりもするんです。そういう多様性を受け入れられる作り手やファンの人がいて、全て受け止めるサメっていう存在があるっていうのがすごくいいです。それもサメですから、誰も傷つかないっていうのがまたいいですよね。
それでいて、出てくれば一目でサメとわかるっていうのがすごく良い。背びれの三角形の印が、海面にバーっと来るだけで、「あ、サメが出てきた」っていう、そのわかりやすさもいいですよね。