にも関わらず、日本の政治家の多くは、サラリーマン等の経験はあるにせよ(悪く言えば、他の方が座れたはずの席を取ることで給料を得たことはあっても)、自分で商売をやったり、新たに起業したり、つまりは、ゼロからの付加価値をつけて、稼いで、税金を納めて、という経験のある人は少ない。そうした経験がない方が、上記①や②を無視して、綺麗ごとだけ言っても国民には響かない。
「何を言うか」以上に「誰が言うか」で、言葉というのは、相手への響き方が違う。好き嫌いは別にして、トランプの言葉が力を持つのは、自分で事業をやってきて、その失敗も成功も知っているからというのは大きいと思う。
以上の①〜③が、私なりに政治を眺めた場合の違和感の正体なのだが、読者諸賢はどう感じるであろうか。書いてしまったものは仕方がないが、政治家や政治業界の方も、政治に期待する人たちも、皆敵に回してしまったような恐怖も感じないわけではない。ただ、これが、バブル崩壊からの35年間の日本の政治と社会を眺めて来た実感であり、ある意味確信なので仕方がないと思い、率直に書くこととする。
3. 日本の強化のための残された視座:地域や故郷のために「稼ぐ力」を率先垂範で
更に言えば(更に敵を作ることを言えば)、日本の強さは、率直にいって、資本主義の純化とも言える欧米的合理主義を乗り越えた利他の精神にあったわけだが、最近は、残念ながら、アメリカニズムが完全に日本社会を覆うようになり、その強みは完全に崩壊しつつある。
日本人は特に、見えないものへの感謝を大切にし、自分を作ってくれている①家族(自らの家系・先祖)、②地域(育んでくれた故郷)、③(②と一部重なるが)社会全体、を大切にしてきた。そして、そのことがある意味で良い循環を生んでいた。
自分を“多少”(ときに酷く)犠牲にしても、①子どもを産んで立派に育てることで家を次代につなげ、②地域にとどまって・地域のために仕事をしたり寄付をしたり後進を育てて次代につなげ、③消防団や自治会や公務を果たすことで、社会を次代につなげ、ということを意識してきた。