ところが近年は、合理主義と言う名の「損得主義」が社会に蔓延し、どうすれば損しないか(得するか)、どうすれば自分が楽しいか、ということばかりだ。

① 子供を産み育てるのは、相手を選んで関係を長続きさせるのも、子どもにお金や時間を注ぐのも(自分の可処分時間や所得が減るのも)、損得からいうと損だし、面倒だ。

② 地域にとどまったり、地域にお金を投じたりするのは、バカバカしい。都会に出て、高給を取り、まあ、盆暮れくらいには両親に顔見せるが、両親がいなくなれば、墓じまいをして、空き家を売り払って、都会で楽しくマンション暮らしをしよう、

③ 消防団やら自治会に入るのは面倒だし、PTAなんて誰もやりたがらない。公務員も給料の割に責任が重くてやりたくない(※地方公務員も国家公務員もなり手が激減していて(概ね志望者3割減)、職種によっては、定員割れを起こすケースも出てきている)。

というのが、乱暴に言えば、現代人の気分ではなかろうか。

日本が世界最強だった頃の日本人の常識とはかけ離れてしまってきているのは確かであろう。社会の維持のために、少子化対策のお金を少し乗っけることすら「独身税」と言われる始末で、この「独身税」のニュースを聞いた時は、正直日本は終わったと感じた。

果たして上乗せ徴収されたお金が有効に使われるのかとか、いわゆる「異次元の少子化対策」の政策動向には、色々な批判はあろう。ただ、徴収されるお金を「独身税」と言い、その言説が広がる気風、つまり「少しでも損したくない」「社会の維持に貢献しようという意志を感じない」言説が広がることには、日本社会への絶望しか感じなかった。

皮肉であるが、自分の利益を追い求めれば追い求めるほど、すなわち、中途半端に、徹底合理主義のアメリカ・モデルを目指せば目指すほど、却って、競争力を損ない、貧しくなってるのが日本の現実である。

PTAを選ぶ会議で、全員が一斉に下を向く現実を見て、かつての日本人はどう感じるであろうか。もちろん、PTAでベルマーク委員が必要なのか、など、個別に色々と批判が出て、改革が行われることは良いと思う。ただ、子どもを学校に入れたら、学校に任せてるんだから、自分も配偶者も仕事で忙しいんだから、後は学校で何とかしてくれ、後は知らない、という態度はどうかと思う。