では、どうしてかつての日本はこれが強かったのかと言うと、実は、政策云々の話ではない。国民一人一人が強かったから。つまりは、こうした国民を生み出す家庭教育や地域教育が良かったわけであり、当時は、社会全体で「頑張る」とか「努力する」ということが求められていたし、奨励されていた。
今の政治は、国民に耳あたりの良いことを言うだけで、サービスすることばかり。実は、国民一人一人がもっと頑張らないととか、もっと工夫して努力しないと、ということが大事なのに、「出来るだけ働かないで良い」、「出来るだけお金を配ります」、「政治や政策の工夫で何とかできます」みたいな話ばかり。
本当に困っている方、本当に辛い状況にある方には、もちろん政治が何らか手を差し伸べることが大事だが、国民の大多数については、各国の大多数の方々に「負けない」ように、競争力をつけるしかない、と厳しいことを言うしかないのだ。
空手形を見せつけられているようなサービス合戦をされても、正直響かない。国民にもっと厳しい現実を見せ、嫌なこと・言いたくないことも伝えて奮起を促さないと、全く響かない。
③ そして、日本・日本人が「稼げる」ようになるには、本質的には各地ごとに、各企業・各個人たちがしっかりするしかないわけで、国全体がどうこうと言っても仕方ないところがある。国が大量の資金等のリソースを投じてラピダスを作れば、それで勝てるし儲かるし、という話ではない。
アメリカが強いのは、各地ごとに、西海岸はIT・テック企業が、東海岸は金融やコンサル系が、などと、世界競争力をもった企業が次々に生まれたり、その地位を維持したりしているからであって、それは、主には、政治や政府の戦略によるものではない。マクロというよりミクロなのだ。マクロが関係ないと言うつもりはないが、主従で言えば、まず、頑張る個人や企業がないとはじまらない。
その意味では、日本の弱体化は、今や、政治の非力とかが原因ではないのだ。政治でどう頑張っても限界がある。政治を変えるとか、政治で何とかすると騒いでいるエネルギーと暇があったら、そういう人たちは(政治家は)、駅前で拡声器もったり頭下げたりして一票のお願いするのではなく、すぐに各地でビジネスをはじめて、付加価値を生み、つまりは自分で稼ぎ、自分で税金を納め、納税などの形で国家に貢献すべきだ。