そして、“政策系”の方々は、バラマキ・手取り増の話に終始している。「自公は2万円の給付を決めた」、「維新は、社会保険料にターゲットを絞って国民負担減に邁進している」、「立民は、ガソリンの暫定税率廃止で、財金の委員長解任も主導して、不信任案提出の代わりに徹底抗戦“風”を見せた。一時的措置とはいえ、消費減税提案にも踏み込んだ」「国民民主は、“壁”問題で名を上げたこともあって、元祖“手取り増”政党として、突き進み続ける」…という具合である。れいわ新選組も、共産党も、参政党も、とにかく、減税と財政支出増だ。

どの党が勝っても、実際に政権を担うようになれば、財政的信認を失いつつある日本の国債への攻撃が心配になって、財務官僚や市場通の方々から「イギリス(トラス政権※)みたいになって良いんですか。責任とれるんですか。」と脅されたら、ひるむのは目に見えている。

※ トラス政権は、「成長戦略2022」を打ち出し、国民保険料の引き上げ撤回、所得税引き下げ、エネルギー料金の引き下げなどを表明したところ、市場からの攻撃で、国債利回りが急上昇し、ポンド安となって、政権に就いてわずか49日で退任。

そんなわけで、都議選も参院選も、10日〜2週間ほどの「お祭り」のようなもので、メディアも何も大きく騒いでいるが、個人的には、どこか虚しさがぬぐえない。読者諸賢もそう感じている方が少なくないのではないだろうか。

自民党政権のままで日本が良くなっていく感じがしないし、かといって、野党側も、どの党も、あたかも自分たちが政権についたら、国民生活が大きく改善するようなことを言ってるが、あまりリアリティは感じられず、むなしい、というわけだ。

つまり、政策争いとは言っても、国民生活を大きく混乱させることなく(財政信認などを失うことなく)「ギリギリ、ちょっとだけ」良くすることについての、目くそ鼻くその争いなのだ。やれ、財源が、とか、どこまでリフレ政策を打って大丈夫なのか、とかの議論に終始しているが、実際に政権についたら、少しでも現実的な人であれば、評論家としては元気の良い事は言っていても、市場の攻撃にともなう国民生活の大混乱が怖くて極端な積極財政政策や減税策などとれないのだ。