逆に保守の中で新鮮さが増している参政党は、勢いをつけてきているが、果たしてどこまで伸びて、いつ飽きられるか、と冷めた目で見てしまう。
最近の若者言葉だと「蛙化」と言うらしいが(反対語は「蛇化」)、最初は輝いて見えても、しばらくすると、どの政党も、残念なものに見えて来てしまうという状況が顕著になった。
(2) 政党の地域化が進んで来ている。大阪は維新、東京は都民ファースト、といった具合 だ。都民ファーストは、2回前の都議選の際に、小池ブームやトランプブーム(当時のトランプ氏が叫んでいた「アメリカ・ファースト」を受けての「都民ファースト」)に乗って票を伸ばしたが、上記の「飽き」を考えると、前回に4割減らした議席を、更に半減くらいさせかねないはずだが、自民の敵失(自民党都連における裏金問題)はあったものの、前回と同じ議席を維持できた。これは、地域に寄り添う政党ということが一定の歯止め効果をもたらしたのではないか。
維新での大阪での盤石ぶりと併せて考えると(逆に大阪や一部の関西以外での広がりの欠け方を見ると)、「政党の地域化」現象が如実になっている。
つまり、朝比奈分析の(1)に基づけば、新党のようなものは、それこそ日本新党や民主党ブームから、維新、みんなの党、そして最近の様々な政党という具合に、この30年くらい、ワンサカ出てきているのだが、正直、だんだん小粒化していて、人気が保たれる周期も短くなってきている。
日本新党や民主党は、形はともかく、実際に政権を取るに至り、維新やみんなの党も一時はそれを期待させる広がりがあった。ただ、どうも最近の新党たちは、政権を取るような勢い・体制やメンバーのレベル感からの政権奪取のリアリティは、益々感じない。簡単に1〜2年程度で飽きられるようになってしまっている。
ある意味で嘆いても仕方の無いことなのだが、そんな中で、新党の乱立≒政治の混乱状況がずっと続いて良いのか、という思いを禁じ得ない。