イギリスは、これらの問題を宥和政策により解決しようとしました。具体的には、海外コミットメントの縮小、敵対主義の排除、戦争につながりかねない対立の回避です。

こうした政策の端的な例が、アメリカに対する宥和でした(前掲書、23-24ページ)。この対米宥和については、過去のブログ記事で触れましたので、詳しくは、そちらに譲り、ここではイギリスの海軍と部隊は、アメリカの勢力圏になる西半球から撤退したことだけ述べるにとどめます。

イギリスの宥和戦略は、ヒトラーの登場により破綻します。戦間期において、宥和政策は左派の広い支持を集めており、右派が時折疑念を示したり批判をしたりする程度でした。ところが、独裁者のヒトラーに対する宥和は、間違いであり危険な政策になったのです。ナチス・ドイツの一連の侵略行動は、安上がりで、平和的な、非介入主義の対外政策が、特定の状況下では妥当でないことを明らかにしました。

世界情勢での地位を徐々に失いつつある小さな島国であるイギリスにとって、軍事的、経済的な負担は重すぎて背負えないため、宥和は「自然な」政策でした。ところが、この外交パターンは、ヒトラーの侵略によって粉々にされました。そして「宥和」は、誇るべき言葉から恥ずべき言葉になったのです。

皮肉なことに、宥和に対する意味合いの逆転は、後のイギリスに悲劇をもたらします。1956年のスエズ危機において、アンソニー・イーデン首相は、自らの政策で宥和を断固拒否しました(前掲書、31-39ページ)。その結果は、外交的な失敗でした。

宥和政策と危機管理

現代の国際政治において、われわれは宥和政策をどのように理解すればよいのでしょうか。リアリストは概して宥和に批判的だと思われがちですが、実は、そうでもありません。

リアリズムの伝統をくむ国際関係理論は、肯定か否定かの二項対立を超えた宥和に対する1つの見方を示しています。その分析枠組みを提供したのが、ロバート・ジャーヴィス氏です。かれは、認知心理学を応用した国際関係研究の金字塔である著作『国際政治における認識と誤認(Perception and Misperception in International Politics)』(プリンストン大学大学出版局、1976年)において、紛争の2つのモデルを提供しました(本書の邦訳は、ようやく、今夏に出版されます)。