ところが今回のトネリコのケースでは、まさに後者のパターンである「多数の遺伝子の小さな変化が積み重なる」形で進化が進んでいることがDNAレベルで証明されたのです。
1世代で「数千の遺伝子変異」とは実際にはどういう状況なのか?
「トネリコの木が、たった1世代で数千もの遺伝子変異を起こして急速に進化している」と聞くと、個体のDNAが突然何万年分も一気に変化したかのような驚きを覚えるかもしれません。しかし実際に起きている現象は、そういう劇的な変異ではありません。
まず、1本のトネリコの木そのものが自分の一生のうちに遺伝子を大幅に変えることはありません。ここでいう「1世代で数千の遺伝子変異」というのは、集団(森全体)の中で、次世代に残る遺伝子の頻度が変化することを意味しています。
例えば、もともとのトネリコの森には、病気に弱い個体も、少しだけ強い個体も混ざって存在していました。その違いを生み出す原因が「数千の遺伝子」にわたる細かな違い(DNA配列のごくわずかな差)でした。今回の外来病原菌による感染圧のように、強力な環境ストレスが発生すると、病気に弱い個体は枯れてしまい、比較的強い個体だけが生き残って子孫を残します。結果として、次世代のトネリコには、病気に対して抵抗性のある遺伝子の割合が増えていきます。
つまり、この1世代に起きた「数千の遺伝子変異」とは、個体が新たな遺伝子を作り出したわけではなく、「もともと存在していた多様な遺伝子バリエーションの頻度が、自然選択によって一気に変わった」という意味なのです。ですから、私たちが目撃しているのは奇抜な突然変異種の出現ではなく、自然界にすでに存在していた「遺伝子のバリエーション」が、強力な淘汰圧によって1世代の間に劇的に変化したということなのです。
このような多くの遺伝子が少しずつ頻度を変えることで起きる適応を「ポリジェニック適応」といい、これまで自然環境で明確に観察されることは稀でした。