実際には「進ぬ!電波少年」の人気コーナーとして全国放送され、なすびは次第に有名人になった。懸賞生活の日々を綴った書籍「懸賞日記」も出版され、ベストセラーとなったのである。

今見ると、どうなのか

なすびの顔の長さは本人にとっては当初コンプレックスだったようだが、にっこり笑うとこちらも思わず笑ってしまう温かみがあった。テレビの画面を通して見るなすびは様々なユーモラスな格好をし、「面白い」「楽しい」印象が当時の筆者にはあった。

しかし、今回「ザ・コンテスタント」を見て、当時の動画の中でいかにも「新人」という感じの20代前半のなすびがくじでチャレンジャーに選ばれた瞬間から、どうにも胸騒ぎがして落ち着かなくなった。

見ているこちらも、制作者側もこれから何が起きるかを知っている。しかし、この若者は知らないのである。なすびの所属事務所は彼の身柄をテレビ局側にゆだねてしまう。

テレビ局で「神」的存在として恐れられていたのがプロデューサーの土屋敏男氏である。彼の決断で「電波少年的懸賞生活」が始まる。

この時の若いなすびは「無警戒すぎた」と言えなくもないのだが、そういう無垢の部分を番組制作側や事務所が無意識のうちかもしれないが、「利用した」のではないか。少なくとも、筆者にはそう見えてしまったので、胸がドキドキしてきた。

一連の「MeToo」の流れや、最近ではタレントの中居正広によるフジテレビの元女性アナウンサーへの性加害問題、つまりはメディア界・エンタテインメント界で時々発生する、力のある「使う側」の人とその人に「使われる側」との間の人権侵害状況などが頭に浮かんだ。

なすびと懸賞生活の番組の場合は、性加害ではなかった。しかし、力の上下関係があったし、「ここを通れば有名になれるのだから」というプレッシャーがなすびにかかっていたのではないかと思わせた。

「もっと面白くさせたいから、タレントにこうさせよう・ああさせよう」と制作側が考え、番組が超人気になったので、「成功」であり、「もっとやらせよう」となってしまう構図が見えるようでもあった。