確かに、人工知能に私たちが見ているものを教える際も、こうした文化や環境の違いを無視してしまうと「誰にでも見えるもの」を作ることは難しいでしょう。
例えば、AIが「長方形しか見えない」ように学習してしまったら、ヒンバ族のような人々には「ちゃんと使えない」ものになってしまうかもしれません。
今回の研究は、「私たちは同じ世界を見ている」という常識に疑問を投げかけ、「見える」ということの意味をもう一度考えさせてくれます。
まだ発見されていない世界の見方の違いがあるかもしれない
今回の研究では、錯視画像を使って「長方形」と「円」の認識が育った文化や環境で大きく異なることが明らかになりました。しかし、視覚における文化や環境の影響は、今回確認されたものだけではなく、まだまだ私たちが気づいていない形で多く存在しているかもしれません。もしかすると、日常生活の中でごく当たり前に見えていると思っている色や形、奥行きや動きまでも、文化的背景が異なる人々の間では、微妙に違った形で処理されている可能性があります。これらの違いは目に見えにくく、自分自身の感覚に深く馴染んでしまっているため、なかなか自覚できません。もし私たちが気づいていないだけで、世界中の人々が本当にそれぞれの脳で違った「視覚的な初期設定」を持っているのだとすれば、私たちは同じ景色を見ながら、実は微妙に異なる世界を生きていることになります。このような違いを丁寧に見つけていくことは、人間が世界をどう認識しているのかという理解を深める大きな手掛かりになるかもしれません。つまり、この研究で明らかになったのは、視覚という広大な世界の中のほんの一部分に過ぎず、私たちがまだ気づけていない「見え方の差異」はまだまだ無数に眠っているのかもしれません。
錯視は単なる目のトリックではなく、私たちの脳が育った環境によって深く「チューニング」されている証拠です。