それに対し、今回の研究が示しているのは、脳が視覚情報を「処理する仕組み」そのものが育った環境に影響されているという現象です。つまり、環境や文化の違いが視覚情報の処理段階(脳の視覚系の初期設定)を変えてしまい、「同じ入力を与えられても、脳がそもそも違うものとして解釈してしまう」ということです。これは、クオリアが扱う「同じ赤色を見ても感じ方が違う」という主観的な感覚の差異とは異なり、「最初から脳に届く情報の扱い方自体が違う」という認知処理のメカニズムの違いを指しています。

つまり、クオリアが「同じものを認識した上での感覚的な差」を議論する概念であるのに対し、今回の研究で扱われているのは「そもそも脳が認識する対象自体が異なってしまう」という認知や知覚レベルの違いを示しています。この違いを理解すると、「同じ世界を見ているつもりでも、実は根本的に異なる認識世界を生きている可能性がある」という研究の驚きがより明確になるでしょう。

実際、過去の研究でもミュラー=リヤー錯視(矢羽根の向きで同じ長さの線が長く見えたり短く見えたりする錯視)を使った実験で、文化によって錯視の見え方が異なるということが報告されています。

しかし、この大工世界仮説はずっと前から知られていたにもかかわらず、本当に文化や環境が視覚の根本的な仕組みにまで影響するのかどうかについては、いまだに結論が出ていませんでした。

むしろ多くの科学者は、「目の基本的な仕組みは世界中どこでも同じだろう」と考えてきたのです。

そこで今回の研究チームは、この問題を解決するために「育った環境によって目の初期設定が書き換えられるのか?」という大胆な問いを立て、今までにない規模での実験に取り組みました。

都市で育った人々と伝統的な村で育った人々に、同じ錯視画像を見せて、その見え方が本当に違ってくるのかを実際に調べたのです。

本当に育った環境が目の見え方を変えてしまうのでしょうか?

人々は決して「同じ世界」を見ていない