そうなるくらいなら、初めから悪口や不謹慎にも寛容に接し、「まちがえたかな?」とわかったら、謝れば移れる「別の選択肢」を残しておけばよかったのだ。気づいても手遅れな人は救えないので、未来のある人はいま、心に刻みましょう。
さまざまな意味で「現実の梯子」を外されたウクライナ浪漫派がどこへ行くのか、それは知らない(興味もない)。私たちに必要なのは、幸いにもバーチャルな形で済んだ「二度目の聖戦失敗」を受けとめ、その仔細をしっかりと記録し、三度目を防ぐために役立てることの他にない。
なお、私は日本でのウクライナ支持の盛り上がりが韓国や台湾よりはるかに大きかったのは、人道でも民主主義でも法の支配でも国際秩序でもなく「今度こそは戦勝国になりたい」という悲願から正義の勝ち馬に乗るつもりでウクライナ支持に傾注した層がいたからだ、と推測してヒアリングを繰り返している。
— Satoshi Ikeuchi 池内恵 (@chutoislam) February 23, 2025
ウクライナが正義でも勝ち馬でもなかったらしい、日本は戦勝国になれないらしい、と気づいた時のこの層の反応には、いささか不安を覚える。
— Satoshi Ikeuchi 池内恵 (@chutoislam) February 23, 2025
(ヘッダーは、尾崎行雄記念財団のページより)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年6月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。