とする見解もある。先に見た有馬学『帝国の昭和』(2002年)では、かつて皇道派の総帥だった真崎甚三郎の日記を引いて、
真崎は、退役軍人だった弟の勝次から斎藤演説を傍聴した感想を「堂々たるもの」と聞き、「彼の述べたることは国民の声」であり、「此の位の言論〔が〕議会に許されざれば議会は無用なり」との勝次の憤慨を日記に記している。真崎自身の感想も勝次に同感するものであった。
単行本版、225-6頁
と、論じている。
ところが「聖戦を侮辱するとは!」と陸軍が激昂し、圧力に屈して衆議院が斎藤を懲罰委員会に送り、本会議で採決して議員を除名してしまう。まさに数の横暴による、議席のキャンセルである。
1/3の議員は棄権や欠席で、暗黙裡に距離を置いたものの、堂々の反対票で「これはおかしい」と反駁したのは、わずか7名だった(うち1人が、戦後に首相となる芦田均)。これまた近日のネットリンチや、キャンセルカルチャーの景色と同じだ。
はい、みなさんわかりましたね? 社会に「不謹慎は許すまじ!」とする空気が生まれ、便乗して「私への悪口はぜんぶ潰す!」みたいな戦争のセンモンカが跳梁すると、その国が政治的に採れる選択肢が狭くなるんですよ。で、結果としてまちがいを、止められなくなる。
日中戦争に疑問を呈した斎藤演説の論旨を、今日風に言いなおせば、「道義に基づく国際正義に立って欧州永遠の平和のために戦うという戦争が、成り立ち得るのか」となりますが、どちらも成り立ち得なかったわけです。

「NATOがついてる欧州が楽勝」と侮る人も開戦前にはいました