戦後80年を考える著書として、先月『江藤淳と加藤典洋』を出したところ、「この本の著者はヒトラーで、帯を寄せた学者はスターリンだ」という、ものすごい悪口が届いてしまった。それも、著名な評論家からである。

ふつうに考えてイミフだけど、でも、そういった「悪口芸」も含めて言論の自由だから、昨今流行りの民事訴訟ダーも刑事告訴ダーもしない……との旨は、先日すでに報告している。

しかし、なぜ「悪口」にも自由を認めるのか? 自由主義の伝統が弱い日本では、これをわかっていない人が昔から多い。2020年代、コロナやウクライナが醸し出す「戦時」の空気の中で、その傾向はより強まっている。

いまは(比喩であれ)戦時下なんだから、「不謹慎」は取り締まって当然とする風潮に乗り、(たとえ事実の指摘でも)自分が不快に感じたらぜんぶ「中傷」だと独自の定義を振りかざし、なにかあったら「戦争に尽くす私の邪魔をするのか!」と叫べばいい――みたいな人がいるわけですね。