その統計には「公共性」と「構成的役割」がある。
市場参加者は、作況指数や需給見通しをただの情報としてではなく、「制度的な前提」として行動をとる。
つまり統計とは「市場の実態を説明する道具」ではなく、「市場そのものを構成してしまう力をもつ制度的要素」なのである。
ゆえに、統計に誤差や見落としがあれば、行政には速やかに訂正・補足し、適切な情報を再発信するアナウンス責任がある。
市場を壊すのは民間ではなく行政の介入である
しかし、コメの公式統計を司る小泉農相は誤った情報を出した責任はとらないばかりか、訂正もせず、挙句の果てには現場の卸事業者を「暴利をとる悪者」として吊るし上げている。
コメ卸を非難する小泉農相の発言は、自省の不備と情報錯誤から目をそらすためのスケープゴート化に過ぎない。その不見識は米のサプライチェーンに対する国民からの信頼を根底から損なわせる暴挙だ。その姿勢は、民業圧迫どころか、もはや大臣による恫喝と言っても過言ではない。
市場経済においては、価格が希少性や需給の逼迫度を反映し、資源の効率的配分を導く。農業も例外ではない。コメ農家もそのメカニズムの中で、毎年リスクを背負って田植え/直播に臨んでいる。
だが、小泉農相が市場価格を無視して備蓄米を安価に放出したり、「米の流通は極めて複雑怪奇でブラックボックスがある」「流通の可視化が必要だ」などと民間事業者に過度な非難と介入を繰り返せば、価格形成メカニズムがゆがめられ、市場からのインセンティブ構造は崩壊する。
結果として、農家は高リスク・低リターンの経営環境に追い込まれ、離農が進む。短期的には安価なコメが供給されるかもしれないが、中長期的には生産基盤の縮小と供給不安を恒常的に招くことになる。
ブラックボックスは「流通」ではなく「農政」
小泉農相は「米の流通は極めて複雑怪奇でブラックボックスがある。可視化を進めたい」といった発言で、あたかも正義の味方を演じてみせても、本当に可視化されるべき“ブラックボックス”は別のところにある。