当時、ウォルト氏の以下の見立ては的確だったにもかかわらず、かなり非難されました。
能力と決意の双方における、この大きなギャップにもかかわらず、アメリカ(そしてNATO全体)は、交渉において、双方で隔たりのある中心的問題にまったく譲歩の姿勢を見せてこなかった…NATOは今でもウクライナが加盟条件を満たせば同盟に入る権利があると主張している。ウクライナが早い段階で加盟できるとは誰も信じていないのに、西側は一つの点(ウクライナの加盟の非現実性、引用者)を繰り返し訴えればモスクワの懸念が和らぐと期待して、この抽象的な原則への立場を変えようとしなかった…この核心的問題に関して、ロシアが幾分か望むものを同国に与えることなくして、どうやって西側の指導者がこの危機を解決できると考えていたのか、わたしには理解できない…あなたの敵が現地で軍事的優勢を保持しており、あなたより結果をもっと気にしている場合、紛争を解決するには、あなたの方がある程度の調整を行う必要がある。このことは正しいとか間違っているとかの問題ではない。これは相手を動かす力(リバレッジ)の問題なのである。
ウクライナ危機において、利害や決意で優るロシアはアメリカとNATO諸国に対してバーゲニングで有利な立場にありました。したがって、ロシアは妥協しないだろうと予測できます。にもかかわらず、なぜ弱い立場のアメリカやNATOが強い立場のロシアから譲歩を引き出せると考えていたのかが、ウォルト氏やわたしにもナゾなのです。これは理論的なパズルであるだけでなく、直観にも反することでしょう。
こうしたアメリカの矛盾をはらんだウクライナ危機への対応の源泉は、政策エリートが陥りやすい以下の思考の「歪み」、すなわち「見たいものは見て、見たくないものは見ない」ということなのかもしれません。
「誤用」される歴史の教訓—ミュンヘンのアナロジー—
国際危機や紛争において濫用されるのが、「ミュンヘンの教訓」です。ウクライナ危機も例外ではなく、「ミュンヘンの教訓」がいつのまにか援用されていました。すなわち、プーチンはヒトラーの再来であり、少しでも弱みを見せればつけあがって侵略を続ける「大悪党」なのだから、ウクライナ危機において一切の妥協をしてはならない、という主張です。