さらに研究チームは、「アズキの栽培化がいつ頃始まったのか?」という疑問にも挑戦しました。

カギを握ったのはアズキの赤い種皮です。

野生のヤブツルアズキの種子は黒っぽい色をしていますが、私たちが食べている栽培アズキの種皮は鮮やかな赤色をしています。

実はこの種皮の赤い背景色はVaANR1、黒い斑点を消す働きは VaPAP1 という 二つの遺伝子が組み合わさって生まれます。

このダブル変異によって、現在の「均一に赤いアズキ」が完成したと分かりました。

ところが、この赤い種皮への変化は自然界では一長一短でした。

色素が変化したことで種皮の透水性(硬さや水の通しやすさ)にも影響が生じ、野生環境では発芽や生存に不利になる可能性があったのです。

それでも赤い豆が生き残った背景には、人間の存在がありました。

赤い種皮型は水を通しやすい傾向があり、発芽が揃いやすくなる可能性が示唆されています。

(※何より人間にとって見た目が魅力的だった点もあるでしょう)

こうした理由から、人々は好んで赤いアズキを選んで栽培し続けたと考えられます。

この仮説を裏付けるため、研究者たちは多数のアズキ試料のゲノムデータを使い、過去に遡って赤い種皮を持つ遺伝子(変異型ANR1)の頻度(割合)の変化を推定しました。

その結果、赤い種子を生む VaANR1 という変異は約1万3000年前(±5000年)から少しずつ増え始めており、約3000〜5000年前(縄文後期) に日本で本格的にアズキが作物として育てられるようになったことがわかりました。

(※アズキは1年草なので1万世代でおよそ1万年と換算できます)

つまり、初期の「弱い選抜」と後の「栽培化」は別の段階として考える必要があったのです。

実際、栽培アズキ集団における赤い種の割合はその頃から増加をスタートし、現代ではほとんどが赤いアズキになっています。

さらにこの結果は、縄文人たちの農業の歴史においても重要な意味があります。