ソ連や中国の手先である北ヴェトナムは、共産主義を拡大する現状打破勢力であり、ひとたび南ヴェトナムが共産主義者の手に落ちれば、周辺のアジア諸国が次々と共産化していくというロジックです。
こうした悲劇的な結果になることを避けるためには、ドミノの最初のコマである南ヴェトナムを北ヴェトナムから、軍事力を使ってでも、守らなければならない。ミュンヘン会談の失敗が示すように、侵略国との対話は無駄であるばかりか、かえって戦争を助長することになる。したがって、アメリカは北ヴェトナムとは交渉しないということになります。
同時にジョンソン大統領は、朝鮮戦争のアナロジーを使って、アメリカのヴェトナムへの軍事介入が、中国の参戦を招くことを恐れていました。
このためジョンソン政権は、ヴェトナムへの対応を決める際に、北ヴェトナムを屈服させるための大規模な戦略空軍の展開には慎重でした(その後、アメリカは「北爆」に踏み切ることになりますが)。
なぜなら、中国と国境を接する北ヴェトナムを航空戦力で攻撃すると、中国を刺激することになり、朝鮮戦争の時にように、同国の介入を招くことになると推察したからです。これに代わって、同政権が採用したオプションは、ヴェトコンに軍事的なプレッシャーを与える陸上兵力の派遣でした。
なお、ヴェトナム戦争の意思決定において、孤軍奮闘、ディエンビエンフーのアナロジーを引き合いに出して、アメリカの軍事介入に反対したのが、ジョージ・ボール国務次官代理でした。かれは、フランス軍がゲリラ戦で手痛い敗北を喫したことを重視して、アメリカはジャングルでのゲリラ戦ではヴェトコンに勝てないことなどを根拠にして、陸上兵力をヴェトナムに投入することに異を唱えたのです。しかしながら、かれの異論は、ジョンソン政権内では受け入れられませんでした。
このように「朝鮮戦争とミュンヘン会談のアナロジーは、ジョンソン政権によって引き出された推論を強固に形成した」のです。これらのアナロジーは、アメリカの政策決定において、ヴェトナム戦争の性質、アメリカのヴェトナムにおける利害、軍事介入の展望を規定する要因となりました。