本書におけるコーン氏の主張は明快です。アメリカの指導者は、ヴェトナム戦争への軍事介入に関する政策決定を行う際、朝鮮戦争と戦間期のミュンヘン会談を歴史のアナロジーとして使用したというものです。
1965年、ジョンソン政権はヴェトナム戦争への対応を深く検討していました。そもそもヴェトナム戦争は、フランスが同国の再支配を狙って、第二次世界大戦後、独立を求めるヴェトナムと戦ったのが起源です。ヴェトナムの独立への意志は強く、また、ヴェトミンの士気は高く、1954年、フランス軍はディエンビエンフーの戦いに負けたのを契機に敗退することになりました。
フランスに代わってヴェトナム問題に深くかかわったのが、アメリカでした。アメリカは共産主義の拡大を封じ込める戦略をとっていましたが、アイゼンハワー政権は、共産化した「北ヴェトナム」に対抗する軍事介入を行いませんでした。その主な理由の1つが、「朝鮮戦争のアナロジー」でした。
アイゼンハワー大統領は、アメリカが東南アジア諸国を共産主義から守るために、ヴェトナムに単独で介入することは、中国との全面戦争を招きかねないと懸念したのです。つまり、「朝鮮戦争の二の舞はご免だ」という意識が、アイゼンハワー政権にヴェトナムでの戦争を思いとどまらせたということです。
次のケネディ政権は、「南ヴェトナム」に支援や助言を行いましたが、戦闘部隊は派遣しませんでした。その決定に影響を与えた「アナロジー」が、「マラヤのモデル」です。イギリスは大規模な軍事オペレーションではなく、マレーシアにおける共産ゲリラの活動を補給路を断つなどの作戦によって鎮圧しました。
ケネディ政権は、共産主義勢力の南ヴェトナムへの浸透を止めることに腐心していましたが、朝鮮戦争のような軍事介入を避けつつも、上記のような政策オプションで、その目的を達成しようとしたのです。
ジョンソン政権は、アメリカにとって悪化する一途をたどるヴェトナム情勢への対応を迫られました。ジョンソン大統領および多くの側近が、ヴェトナムへの軍事介入を議論する際に頼ったアナロジーは、「朝鮮戦争」と「ミュンヘン会談」でした。ジョンソン政権の意思決定者は、「ミュンヘン会談」のアナロジーにとらわれていました。そして、このアナロジーは、有名な「ドミノ理論」の基礎にもなりました。