これが先入見で資料(史料)を読む際の危ないところで、そうした見方にいちど立ってしまうと、本人も言及はする以下の箇所の重要性が、眼に入らなくなるようだ。

中村 そういう意味で今年や来年で解決しない大問題があると思う。つまり文学がホントであるべきかウソでよいのかという……。 平野 ウソでいいんだけどね。 中村 そう簡単に言っちゃいけないだろう。(笑い)

同紙・同号(点線原文)

先の文脈での会話なので、文学が「ウソでいい」とはむろん、小説の内容が虚構だという意味ではなく、「なんとなく世間の相場に合わせて、本気を込めずに書いても別にいい」との趣旨になる。

平野謙は4人の中で最年長で、戦前から活躍する大ベテラン。1956年に無名の学部生だった(!)江藤がデビュー作『夏目漱石』を出す際には、面識がないのに序文を寄せてくれた恩人でもあった。その人に「文学なんてウソでいい」と言われて、江藤はこのときショックだったのではないか。

なぜ、この国では「思ってもいないことを書いていい」と、文壇の大家が平然と言い放つのか? おそらくそんな疑念が積み重なって、70年代末から江藤はGHQの検閲の研究に邁進する。そして拙著『平成史』でも触れたように、1985年から連載した『昭和の文人』で江藤は、平野の戦時下での国策協力の過去を暴き、こき下ろすことになる。

なお、小谷野氏は章を閉じる上で、おまけのようにこう書いてもいるが、これもまたおかしい。