前掲の反カルト漫画は2012年に掲載されたものだが、当時の風潮と彼らの基本姿勢を反映して、朝鮮半島や韓国が何よりも蔑視すべきものとして扱われているのが実に象徴的である。
こうしてキリスト教における異端問題とは違う、独自のカルト概念を生み出して、宗教と信徒を社会から排除すべきものと訴え、社会の域外へ排除することで差別を固定化した。社会の域外へ追いやることと、戻って来ないように差別することを「対策」と位置付けたのである。
同和差別、職業差別、障害者差別、ハンセン病患者などへの疾病差別、人種差別が正当なものとされた時代に、これら当事者の社会からの排除が「対策」と称されていたのと同じである。こうした時代は差別する側に正当性があったため、政治家も自らの正しさを明らかにするため差別に加担した。
統一教会糾弾という「対策」を名乗る差別だけでなく、あらゆる差別行為を「主観的尺度の座標に基づく排除と差別の概念」としてまとめたのが下図だ。
「差別することがどうしても必要な人たち」とは、自らの曖昧な社会的正当性に怯える人々であり、自らが社会的に正当性のある存在になって優越感に浸りたい人々である。
これらの人々は、政治的(人間関係的)な強者、社会的に優れた存在、質的・宗教的な穢れ(汚れ)から遠い清浄な存在に成ろうとして、何者かを「劣等」と位置づけ、この相対的な関係から絶対的な関係へと何者かを社会の域外へ追いやろうとする。何者かを社会の域外にある「被差別領域」に位置付けることで、差別されて当然の人権が認められない存在にする。
以上をカルト認定で行なってきたのが大衆的反カルトであり、現在ではキリスト教牧師らの本来の反カルトと渾然一体となっている。また反差別団体が、前掲の漫画をはじめとする大衆的な反カルトを問題視しないところに、左派・リベラルを称する人々の欺瞞がよく現れている。
報道が大衆的反カルトのメンバーと、彼らが生み出した風潮を利用しているのは、あえて説明するまでもないだろう。