統一教会がやったとされることには、実際にあったことと、存在していないことがある。実際にあったことについても、報道や世間で信じられている内容と実態にギャップが生じている。これは誰が誰にやったのかに始まり、被害とされるものが有るのか無いのか、その被害とされるものは何なのかにまで至っている。
まず正体隠し伝道について。教団が用意したビデオセンターという布教拠点に教団名が掲げられていなかったのは事実だ。しかし、宗教色を消した伝道は1980年代から90年代の宗教界全体の問題であったのを理解しておかなければならない。なおビデオセンターでは椅子が用意されコーヒーなど飲み物が提供されるため、公然と休憩場所として利用していた人たちがいたという。
当時入信した人々を数多く取材したが、いずれの人も早々に教団名を告げられている。また洗脳によって入信した人はなく、各自がそれぞれの課題を抱え、課題を解決するためさまざまな選択肢の中から教団の教義と信仰を選んでいた。
これを理由に拉致監禁、強制棄教が肯定されたり、はたまた解散命令が下されるのはおかしい。
続いて高額献金と、高額献金の原資となる物品の販売つまり霊感商法と言われるものについては『正論』のインタビューで田中会長の説明を紹介した。「やりすぎ」の一例だが、会長の見解を批判する以上は確たる証拠を示さなくてはならない。さらに教団改革、信徒の意識改革としてのコンプライアンス宣言によって事態が収拾され、理由がおかしなものではない限り献金が返金されている事実も認めなくてはならないだろう。
また勧誘被害とされるもの、献金被害とされるものは、拉致監禁を経て強制棄教させられた人々を中心に証言され、教団への裁判や解散命令請求の根拠とされているが、古典的ともいえる背教者問題とともに扱わなくてはならないものである。
背教者とは、宗教(主にキリスト教)の教えや主義主張を捨て、信仰を裏切った人だ。信仰を捨てただけで背教者とされることはまずなく、敵に味方して元来の味方に背いて背教者とされる。