後藤氏の存在は、教団あるいは信徒が「何をされたのか」を端的に物語っている。教団がやったとされることと、悲惨な拉致監禁を比べると、釣り合いが取れないと後藤氏は指摘したが、これもマスコミは取り上げていない。
【加藤文宏・ショートムービー】さて私は、「報道が世の中の出来事を選別する行為を『アジェンダ設定』と呼ぶ。社会で何が重要で、何が論じられるべきか、マスコミが議題を設定するという意味だ。いつ、どのタイミングでやるか。内容は批判的にするのか同意するのか。どのぐらいの分量で、どれだけの時間を費やすか、何回報道するか、何社が報道するか。マスコミが報道しなかったら、その出来事はなかったと同じだ。安倍元首相暗殺事件前、旧統一教会と政界の関係は重要ではなかったため、この世の中では報道されていない。ところが、安倍元首相暗殺後、統一教会と政界の関係の報道があふれた。悪い言い方をすると『嘘も百回言えば本当になる』」とまず説明した。
こうして、「正しいことを間違っていると認識させたり、大した出来事でもないのに重大な一大事と認識させる、すなわち“思考のすり替え”が行われる。これが、嘘が本当になる正体。このようなメディア世論があたかも本物の世論と国民を錯覚させ、憎悪のモンスターを作りあげてしまう」と説明し、過熱した統一教会報道の問題点を指摘した。
当日使用した図版を紹介する。
1. 統一教会糾弾と報道の関係は切っても切れない。ではいったい、報道とは何だ?
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2. 報道は社会で何が重要で、何が論じられるべきか、マスコミが議題を設定する。いつ、どのタイミングでやるか。内容は批判的にするのか同意するのか。どのぐらいの分量で、どれだけの時間を費やすか、何回報道するか、何社が報道するか。マスコミが報道しなかったら、その出来事はなかったと同じ。
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3. 議題が設定され、各社が同じ論調を何回も放送したり記事にすることで「メディア世論」が形作られ、メディア世論に触れた人々と政治家は「世論のうねりそのもの」と錯覚する。この錯覚によって議題設定された人や出来事への脅威が広がるモンスター化が浸透し、政治家が政策を変更するだけでなく、大衆は興奮し、大衆の中から過激な行動を取る者が現れる。