戦後の80年間とは、そうした今日の世界の困難を、先取りする過程でもあった。そのなかでいちばん深く考え抜いたふたりの歩みを描く、15日に発売の拙著『江藤淳と加藤典洋』から、いよいよ序文の最後を公開したい。
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3 批評は行動する
はたして、それはほんとうに「母性社会」なのか。父性が弱いままでは変えようがない、として、いたずらな男性性の称揚に走ったり、あるいは端から諦めたりするほかに、術はないのか。
こうした問いは、サイエンスやエビデンスにはなじまない。
たとえば「母性はそこまで〝寛容〟だろうか?」として、家族社会学や動物行動学からデータを持ち出すことはできる。あるいは父性・母性といった性による差異自体が、実は有意な形では存在しないと、統計的に検証することもできるかもしれない。
しかしそれは、なぜかそうした秩序を現に、私たちが「母」の名で呼んできた歴史を消しはしない。いかにしてそんな事態が生じたかの説明は、客観視された数量ではなく、当事者自身の感性に触れることからしか出てこない。
だとすれば、ことは文学の仕事になる。
1967年、副題を「〝母〟の崩壊」と銘打って、文芸評論の主著を世に問うた批評家がいた。その人は尊皇家で、敗戦により現人神の地位から零落しても、人間として生き抜こうとする天皇の姿に、力弱き父の最後のモラルを見ていたらしい。
一方で82年、彼に挑もうとする、若き別の批評家は書いた。むしろ占領軍の上陸後、その天皇も含めて、日本人はみな母になってしまったのではないか。現にアメリカから来た識者は、男と女の結婚になぞらえて戦後の日米関係を見ており、「マッカーサーと天皇とが並んで立つ一九四五年九月の名高い写真」も、挙式の記念写真として扱われているのだぞと。