このふたり、つまり江藤淳と加藤典洋は、やがて顔をあわせて一度きりの対決をし、別れる。そこで江藤は、苛立ちを感じさせつつも、同じ道を後から来たものにこう助言する。
あなたはさっきからなかなかいいことを言っていますよ。……江藤淳は国じゃなくて言葉を信じているんだと、国は男じゃなくて女だと。しかし、それもまた型じゃありませんか。君、言葉があり、国があるんです。国は女でありかつ男なんです。そういうふうには一方的に割り切れないものなんですよ。
『加藤典洋の発言1』49頁 (初出『文藝』1985年1月号)
枚数の限られる原稿を頼まれた際には、叙述の便宜のため型どおりに割り切るのもいい、「若いときは必ずそういうことをやります」。しかし内心では、つねに「国であり言葉であり、男であり女であり、というようなものを信じていないとだめなんですよ」とも、添えている。それは懇切な研究指導を思わせる。
対する加藤の答えは、ぶっきらぼうだ。――「そのうえで言ってるつもりですけどね」。こちらはむしろ、今日ならX(旧ツイッター)で書き捨てるリプライに近い。
だけど加藤は、後になってずいぶん、このときの江藤への態度を反省するところがあったらしい。そうした逡巡の痕跡は、彼が遺した多くの著作の、節々や行間に眠っている。
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2025年は「戦後80年」であり、戦争の際の元号がずっと続いたなら「昭和100年」だとも言われる。だけど、そんなものを意識して生きる日本人は、いまとても少ない。
かつて母ないし女性に喩えられた、流れた過去をただ忘却し、あるいは祈ることで赦すばかりの「歴史のない」この国の構造は、いよいよ強固になってゆくように見える。ぼく自身がもう、それに逆らってもしかたないという気さえしている。
だけど、もしどこにも出口のない場所にいるのだとしても、いっしょに彷徨ってくれる人が隣にいるだけで、毎日を生きていけることがある。そのことをぼくはほぼ3年近く、文章が書けなくなる精神の病気をしたときに学んだ。