本書はある意味で、「江藤淳と加藤典洋」を扱った研究だ。ぼくなりに、このふたりについて初めて言われることも書いたし、出典の表記も丁寧につけた。その点では、戦後史を扱う歴史学の学術書と並べても、引けはとらないつもりでいる。
だけどほんとうにめざしたのは、ちょっと違うことだ。
「江藤淳と加藤典洋」といっしょに歩くような気持ちで、敗戦から現在までの80年間をつなぐ道のりに、もういちど足跡をつけてみたい。そのなかで戦後からの「出口」が見つかるかは、読者のひとりひとりが判断してくれていい。
読んだ後に、戦後史っていいね、もっと知りたい、と思う人がいたら嬉しい。でも逆に、うんわかった、もう俺は過去を云々することにさよならするよ、という感想もあっていい。
戦後という時空をふたたび訪れて、いっしょにいることの味わいが伝われば、そこから後になにを考えるかは、その人に委ねたい。
今世紀のはじめに連載された文学講義で、加藤は作者に寄り添いながら小説を読み解く営みを、登山に喩えた。山行のようにテクストに分け入りながら、「ここを押さえると、この作品の面白さ、よさ、新しさが、一望できる、もっと楽しく読める、そういうビュー・ポイントを指し示してみたい」。
本書はいわば、同じ手法で、歴史を登る試みである。
熟練した最良の登山ガイドふたりと、そのはるか後ろを、ただしけっして前を歩く人を侮らずについてゆく、不器用な荷物持ちは準備した。