「老人問題」ではなく、「高齢社会」の現状と近未来を描くには、何をどう組み立てるか。
ともかくも高齢社会論であるから、高齢者を取り巻く家族、地域社会、友人・知人の社会関係、職場と企業、高齢化政策は必要になる。それらには、『都市高齢社会と地域福祉』と『マクロ社会学』の経験を活かそうと考えた。
むしろ「老人問題」史観を越えるために、高齢者を正しく描くことが重要ではないかと思い、一つは連載2回目で紹介した「役割理論」を使った高齢者論を取り込むことにした。高齢者は「役割縮小過程」の存在であるという視点を、高齢者の生きがいや健康づくり、社会参加の土台とした。
高齢化現象にも文化的な差違がある
もう一つは個人の「老化」の延長上に「社会の高齢化」があるのだから、そこにはその国特有の文化的制約が大きいことへも配慮しようと思った。だから、当時の社会福祉学界や福祉業界で常用されていた「北欧の老人対策は素晴らしいが、日本のそれはだめ」といった安易な図式を使わないことを決意した。
北欧の事例を安易に持ち出さない
何しろ、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドなどに短期視察に出かけた社会福祉学界・業界関係者の大半が、この安易な感想をまき散らしていた時代であった。
実際のスウェーデンの人口は860万人であり、日本は1億2500万人だったから、両国間では約15倍の違いであった。しかし、ノルウェーは450万人に届かず、フィンランドも500万人程度だったので、少しでも比較社会学の視点をもてば、500万人程度の北欧諸国とその20倍の人口1億人を超えた日本とを比較することの難しさがよく分かるとした。
10人の会社と200人の会社は比べられない
そのため講義では、比較社会論としてたとえば10人の従業員の会社と200人の中小企業、10万人の地方都市と200万人の政令指定都市、5つのベッドをもつ町の診療所と100ベッドの病院との比較をすれば、それが困難であることは自明であろうと話した。その延長線上に20倍の規模の違いに基づく組織構成やシステムの相違が歴然としている。