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(前回:『マクロ社会学』の「縁、運、根」)

マクロな「高齢社会」への関心

『都市高齢社会と地域福祉』を93年2月に、共著の『マクロ社会学』を3月に刊行した後の私は、必然的に「マクロな高齢社会」への関心を強くした。

『マクロ社会学』の「高齢化」と「福祉化」でも部分的にはマクロレベルの内容を取り込んだが、なにしろ「老人問題」論が主流をなした時代であったために、老人=高齢者の日常生活面の医療、福祉、生活保護、家族関係、地域社会での関係などのいわゆるミクロレベルのテーマを優先することになった。

講談社現代新書編集部からの電話

その年の7月だったように記憶するが、編集部から一本の電話があった。

その内容は、『都市高齢社会と地域福祉』を読ませていただき、いろいろと新しいことを学んだ。ついては、それを分かりやすく「現代新書」として書き直してもらえないだろうかという依頼であった。

「分かりやすい新書版」のイメージがつかめなかった

それまでは査読付きの論文執筆を最優先して、それらを集めて単著を3冊出版していたが、「分かりやすい新書版」というイメージがなかなか得られなかった。メールがない時代であり、何回か電話でやり取りしたあと、9月の上旬に阿部編集長が札幌にお越しになり、研究室でお会いして、2つのテーマで話し合った。

一つは「現代新書」にも吉田寿三郎『高齢化社会』(1981)があり、かなり読まれてはきたが、何分13年も前の本だから、データが古すぎて現状にそぐわなくなった。だから新しい「高齢社会論」を用意したいということであり、事情はよく分かった。なぜなら、私も『都市高齢社会と地域福祉』の準備過程でそれを読んでいたからである。

新幹線乗車2時間半で一度は通読できる内容

私は「分かりやすい新書版」のイメージをどうにも捉えられないことを話したら、編集長は次のように答えられた。