「① 想定購読者は40歳から50歳代の大卒男性の会社員。② 東京駅で乗車して新大阪駅までの時間2時間半で、最後のページまで流し読みができる。③ 次の日曜日に赤鉛筆をもって再度読みたくなる内容」と要約できる回答であった。
新書編集部はここまで読者と内容を事前に想定して、毎月3冊も刊行するのかという大きな驚きがあった。
2時間半で最後まで読める内容
少し新書版のイメージが分かった気になったのは②が含められていたからである。そのため、編集長との会談で結局は執筆を引き受けたのだが、その後でも内容と目次構成に2か月くらいは苦労したように覚えている。
しかし、「新書版」を最後まで読むかどうかは読者の問題意識次第でもあろうと考えて、『都市高齢社会と地域福祉』のエッセンスと『マクロ社会学』の「高齢化」と「福祉化」を土台にして、可能なかぎり「老人問題」、「老人社会学」、「老年社会学」とは異なる「高齢社会論」をまとめることに決めた(これらは【参照文献】に一括して掲げた)。
編集長もこの方針を快諾されたので、1994年1月から毎月1章ずつ書いて、夏休みの終りあたりで脱稿する予定を立てた。
新書ならではの試み
せっかくの「講談社現代新書」での出版なのだから、折々に書き留めていた先学の言葉を各章の扉に掲載しようと決めた。
この方針にも編集長の了解が得られたので、第1章がキケロ『老境について』、第2章はモンテーニュ『エセー』、第3章が高田保馬『回想記』、第4章がデュボス『人間と適応』、第5章は宮本常一『忘れられた日本人』、第6章が兼好『徒然草』、第7章が韓非子『諸子百家』(世界の名著)から得たことばや文章を扉に転載した。
さすが「新書」だと感心したのは、「読後感」が読者カードとしての「はがき」で編集部に送られ、それが何回かまとめて研究室に転送されてきたのだが、そのなかには「本文」だけでなく、この「扉の言葉」が気に入ったと書かれた方々が少なくなかったことであった。