そして二人の議論したもう一つの概念が、ラテン語で「ひとつの世界」を意味する「ウーヌス・ムンドゥス(Unus Mundus)」です。
これは意識(主観)と物質(客観)が結びついた、私たちの世界より上位にある次元の領域を指しています。物質と意識はそこからの投影であり、互いに因果関係がないように見えても繋がっていると考えたのです。
先程の共時性が起きるのも、物質と意識がこのウーヌス・ムンドゥスの領域で繋がっているからだということになります。
この考えはユングが提唱したものですが、パウリはこの考えが量子力学の「観測問題」や「量子もつれ(entanglement)」につながるのではないかと考えました。
量子力学には観測という主観的行為が、物理的な現実を確定させるという、直観に反した奇妙な性質があります。
「観測問題」は一般にはシュレーディンガーの猫などの話で広まっている考え方で、観測するまで物事の状態は確定しない(逆に言えば観測で状態が確定する)という問題です。
「量子もつれ」とは、2つの粒子がもつれた状態にあるとき、一方の粒子の状態を観測すると、もう一方の粒子の状態も即座に確定するというものです。重要なのは、この2つの粒子が、空間的に非常に遠く離れていても、片方を観測することで同時に状態が決まる、という点です。
アインシュタインはこの奇妙な現象に対して、「不気味な相互作用(spooky action at a distance)」だと批判しました。
これは、自然界の出来事が空間的な接触や時間的な順序によってつながるという従来の因果的理解を、根底から揺るがすものです。
こう聞くと、先程の共時性の話となにか似ている気がします。パウリも同様に、この量子の非局所的な振る舞いが、意識と現実が繋がり合う共時性の構造と似ていると考えたのです。
もっとも、こうした理論は実験で確かめる方法がなく、科学コミュニティでは「検証不可能=科学ではない」とされています。学術誌でも疑似科学の範囲と見なされるのが現状です。