母の自殺、短期間での離婚、それに非常に難解な量子力学の世界。
パウリのような天才にも、物理学の世界から新たに広がった量子力学はかなり難解であり、苦労することが多かったようです。彼は「ともかく物理学は難しすぎて、自分が物理学など何も知らない喜劇役者だったらよかったのにと思う」という言葉も残しています。
さらに、仲間の物理学者ラルフ・クローニヒ(Ralph Kronig)が示した電子が実は自転しているという「電子スピン(electron spin)」のアイデアを相談された際、「電子はそんなふうになっていない」とかなり冷淡な態度で退けてしまったことも、パウリに深い後悔をもたらしました。
ラルフは天才のパウリに否定されたことで、電子スピン理論の発表を諦めてしまうのですが、そのすぐ翌年に、そっくりなアイデアを、ウーレンベック(Uhlenbeck)とゴーズミット(Goudsmit)という二人の学者が発表し、あっさり世間に受け入れられ、高く評価されてしまうのです。
そのためラルフはかなりパウリを恨んだといいます。
こうした出来事が重なってかなり精神的に参っていたパウリは、1932年、友人たちのすすめで心理分析を受けることにしました。
そこで彼が尋ねたのが、チューリッヒ大学の心理学者カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)だったのです。
そこでパウリは「自分の無意識に理性が侵されている」と語り、いくつもの夢の記録を報告します。このパウリの夢の内容はユング自身を驚かせるものでした。
夢に現れる象徴の数々――たとえば「4つの視点を持つ回転する鏡」や「幾何学的に分割された円盤」、「数秘的な構造を持つ対称図形」などは、ユングが“心の構造”を探るために用いる「マンダラ(mandala)」という象徴に非常に近いものだったのです。
しかしそれだけではありません。ユングがこうした夢の内容を分析した説明は、「二重性」「鏡像」「同時に成立しない視点の統一」などを示しており、それはニールス・ボーアが提唱した相補性のアイデアを想起されるものだとパウリは感じたのです。