ラ・リーガのバレンシア(1993-2001)では主将を務め、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)でチームを準優勝に導くなど、スペインを代表するMFだったガイスカ・メンディエタは、2001年に移籍金約4,800万ユーロ(約90億円)でラツィオへ移籍。

バレンシアでは攻撃的MFとして自由度の高い役割をこなし、2年連続でのCL決勝進出(2000年、2001年)に貢献したが、ラツィオではスヴェン・ゴラン・エリクソン監督(1997-2001、2024年死去)や、ディノ・ゾフ監督(1990-1994、1996-1997、2001)が守備的な戦術を採る中で、明確な役割分担を求めるスタイルだったため、メンディエタの創造性や攻撃力は生かされなかった。

出場機会も限られ、本来のダイナミックなプレーは見られないまま、わずか1シーズンでバルセロナへ期限付き移籍。その後、プレミアリーグのミドルズブラ(2003-2008)でも目立った活躍はできず、キャリアは下降線を辿り、2008年の契約満了とともに、ひっそりと現役を引退した。

当時のラツィオは財政難にも直面し、チームの雰囲気も良くなかったという。スター選手が揃う中での競争も激しく、メンディエタはバレンシアで「怪物」と称されたテクニックを発揮できず、中心選手として定着できなかった。辛口のイタリアメディアも「セリエAでの典型的な大型移籍の失敗例」と評している。


アンドリー・シェフチェンコ 写真:Getty Images

アンドリー・シェフチェンコのチェルシー移籍(2006-2009)

世界一のストライカーとして名を馳せていた元ウクライナ代表FWアンドリー・シェフチェンコ(2012年引退)。ウクライナのディナモ・キーウ(1994-1999)から移籍したセリエAのミラン(1999-2006、2008-2009)では、加入初年度(1999-2000)にリーグ得点王に輝き、バロンドール(世界年間最優秀選手)も受賞。セリエA通算173ゴール、2度のCL制覇という輝かしい実績を誇り、2006年に移籍金約3,000万ポンド(当時約56億円)でチェルシーへ移籍した。