留意すべきことにこの時点では、母性原理の自他融合性を伝える比喩として、過去の戦争が持ち出された。全員が平等に死へと向かう玉砕の体験が放つ、歪んだ包摂感の魔力が、なお読者の記憶の片隅に息づいていたためだろう。
母なる文化の国日本の兵士は強かった。しかし、それは母性原理に基づく男性の強さであり、彼らは死に急ぐことにその強さを発揮したのである。
河合隼雄『母性社会日本の病理』69頁 強調は原文ママ
80年代には、同じものを指すメタファーが未来に向かう。情報化社会の進展はかえって、誰もが見たいものだけを見、知りたいことだけを摂取する、集団的な思考停止をもたらすかもしれない。自分のイメージさえもメディアに与えてもらう鏡像段階への退行は、始まりつつあったデジタル化になぞらえて、「エレクトロニック・マザー・シンドローム」と呼ばれた。
元号が平成となった時代、彼らの予言は立証されてゆく。
学生運動は遠い過去となり、若年層の反抗心は社会的な逸脱へと向かわずに、むしろ庇護と報恩を重んじる体制志向の組織を作る。地元と家族をなにより優先し、マッチョさを誇りつつも「相手に不快感を与えないこと、好感を持たれること、もっとはっきり言えば、相手から愛されること」を第一に、「男性原理の価値規範を、女性原理の方法論で伝達、拡散する」風土が、改革が叫ばれた季節も草の根で保守政治を支えた。