美智子上皇后の人気は民間出身の「皇太子妃」となった1959年から絶大で、天皇自身を含めたあらゆる皇族をしのぎ、「天皇制の皇后化」を推し進めたとも評される。元来カトリックの家庭の出身で、ハンセン病救済に尽くした神谷美恵子に学んだ道徳観も「「神ながらの道」とは対照的に、ナショナリズムを超え」ているから、憲法がうたう平和主義とも相性がよい。

だがそこには、奇妙な逆説がある。

包摂と忘却とは、本来なら別のことだ。しかし、そこまで秩序を象徴するものがすべてを包み込むと、かえって「私はまだ忘れていません」と公に述べることは困難になる。よほど強靭な意志がなければ、いまやかつて起きたことの責任を、問い続けることができない。

弱者に手をさしのべようとする優しい母性こそが、被害の記憶に基づき異議申し立てする主体を、例外的な「強き者」のみに限らせる。

そんな景色がウィルスとの擬似的な戦争や、海外での実際の戦争に接しても、誰もが見通しの「過ち」を振り返らずに無責任の体系でやり過ごす、2020年代の日本に広がっている。

戦時に誤りを発信した専門家に「軍法会議」はないのか|Yonaha Jun
8月15日の終戦記念日にあわせて、前回の記事を書いた。実際には兵站が破綻しているのに「あるふり」で自国の戦争を続けさせたかつての軍人たちと、本当は(信頼に足る)情報なんて入ってないのに「あるふり」で他国の戦争を煽り続ける専門家たちは、同類だというのが論旨である。 とはいえまさか、ここまで即座に「そのもの」の事例が飛...