さて、ゼーション現象の実像に迫り、全体社会システムの諸領域で発生した社会変動を理論として体系化しようとした『マクロ社会学』の内容に移ろう。

「産業化と都市化」の両輪で突き進んだ高度成長期日本の1960年代において、社会学は政府からも国民からも期待される新興学問の一つであり、全国の大学でも社会学部や社会学科が作られるようになっていた。

戦前から戦中を通して戦後の1955年までの「閉塞した社会」や「自由に乏しい社会」が終わり、「もはや戦後でない」1960年代にふさわしいデモクラシーを体現した社会において、その先にバラ色に見える「社会主義社会」(福武・日高、1953)の輪郭を示す社会学もまだ健在ではあった。

社会主義ではなく社会変動

しかしその対極にある新しい動きを「社会変動」と捉えて、日本で理論化を図ったのが富永の一連の研究であった(1965;1986;1996)。

戦前からの手あかのついた「社会主義社会」志向ではなく、1965年に発表され1986年にも踏襲された「社会変動とは社会の構造の変動である」というテーゼはその後日本では共有されて、賛否両論はありつつも富永社会変動理論は様々な応用可能性を拡大した。マクロ社会学ではなく社会変動の理論として、私も含めてその後の若い世代にも着実に浸透していった。

マクロ社会学における社会変動とは何か

総論的にいえば社会変動は、時間的広がり、空間的広がり、変動の規模、変動の強さ、変動の長さ、変動の激しさなどを幅広く包摂した理論である。

理論の水準を問わなければ、社会変動は全方位性を目指し、幅の広い視点をもち、高遠な大局観からの複眼性を維持し、広範な多次元性を保ちたい。しかし、これらを網羅することは人知を超えた要求といってよいので、もっとささやかな理論的展開しか行えないのが社会学史で証明されている。

そこで私たちは二人だけで、産業化、都市化、官僚制化、流動化、情報化、国際化、高齢化、福祉化、計画化などの「ゼーション現象」に分けて、関連データを使いながら社会変動の主領域を細かく論じたのである。

産業化