老いたジョージ・ケナンが「ロシア敵視だと取られる」として、NATOの東方拡大に反対したことは、ウクライナ戦争の勃発後に改めて注目された。そもそもケナンは、マッカーサーの王国状態だった占領下の日本に初めて口を挟んだ人でもあったけど、加藤さんは彼の思想をこう描写する。

George Kennan, A Fateful Error, New York Times, 5 February 1997|国際法関連情報
Opinion | A Fateful Error (Published 1997) George F Kennan Op-Ed article contends that expanding NATO 「NATOの拡大は、冷戦後の全時代を通じて、アメリカの政策...

ケナンのソ連「封じ込め」政策も、日本語の訳語だと「強圧的」な感じを受けますが、『アメリカ外交50年』の訳者有賀貞が指摘するように、もとのコンテイン(contain)という言葉には「中に入れておく」「せきとめておく」という非攻撃的な意味あいがあります。……

危険物を容器(コンテナ)に収容しておく、というどちらかというと保安的配慮がまさっており、そこに攻撃的なニュアンスはありません。

『9条入門』256-7頁 (段落を改変)

冷戦下の米ソはもちろん、自由主義と共産主義というイデオロギーのレベルで対立していたわけだけど、ケナンの戦略はあくまで、影響が漏れ出さないよう「互いに隔離して」過ごせばOKで、敵の撲滅は狙わなかったわけだ。

こうした目で振り返ると、朝鮮戦争下の日本で「全面講和論」の理論的支柱となった声明「三たび平和について」も、意外にケナンと重なることを言っていたことに気づく。当該部分の著者は、丸山眞男だとされている。