「二つの世界」の対立が今日きわめて深刻なものであることも事実なら、それが三十年以上にわたって現に並存し、しかもその両世界の最大の代表者〔米ソ〕が、第二次大戦においては同盟してファシズム国家の打倒に協力したというのも事実なのである。……

われわれは、世界政治を動かしている複雑な諸条件のなかから、米ソの対立の激化という傾向だけをとり出して、これを一方的に強調するような言論と思考からは、平和をより危殆ならしめる現実的効果しか生れないと考える故に、そうした一刀両断的な考え方にどこまでも反対するものである。

『丸山眞男セレクション』217-8頁 初出は『世界』1950年12月号 (並存・同盟の強調は原文ママ)

要は、こいつらとは妥協不可能で「勝つか負けるかだ!」とする発想をはじめから前提にしてしまうと、本当に妥協が不可能になり、どっちかが死ぬまで殴りあわざるを得なくなる、ということだ。その点では、一見空想的に見える全面講和論にも、「リアリズム」の要素があったわけである。

さて、冷戦の終焉という条件のもとに、(片面講和を選んだ日本と異なり)その「全面講和」から出発したウクライナの現状は、どうだろう。

開戦時こそ「民主主義と権威主義の戦い」とも呼ばれたが、冷戦下の自由主義と共産主義に比べれば、その2つは並存不可能なものではなかったろう。いったん「勝つまでやめない!」と啖呵を切った結果、「負けてもやめられない」のがどちらの側かも、いまや覆い難くなって久しい。