だけど、それは別に変えられない前提じゃない。いまに生きる形で過去を振り返る技さえあるなら、ぼくらが選べるモデルは、無限に広がる。

新著を『江藤淳と加藤典洋』と銘打ったのは、ぼくにとって江藤と加藤が魅力的な「お手本」だからだけど、このふたりに限らない。ともに文芸評論家だったから、彼らが論じた作品の著者にまで視野を広げてゆけば、どんな読者にも必ず、「この人だ!」というモデルが見つかるはずだ。

そんな体験を、多くの人に届けたい。とくに、ふだんは歴史に興味ないけど、いまという時代が「どこかおかしく、不条理ばかりで、誰も信じられない」と感じる人こそ、手に取ってほしい。

今日から週に1度のペースで、レイアウトや表記をnote用にアレンジしつつ、同書の序章を公開してゆく。ぜひ、ご期待ください。

■  ■  ■

歴史が消えてからのまえがき

1 否定の思想を排す

どうしたら世の中良くなるんですか? という問いは昔から常にあった。それなのに民主主義の運動は毎回ゼロからの出発を繰り返している。

坂野潤治、『情況』1995年10月号、117頁

30年前、いまよりも歴史の存在感がずっと大きかった「戦後50年」の年に、日本政治史の巨匠はこう説いている。明治の「民権運動であそこまでいったのに、20年後にはそれを全部忘れてしまって、ゼロに戻り、大正デモクラシーでまた1つの頂点まで上がって、5・15事件でまたゼロになり、戦後民主主義でまた上昇して、またゼロになる」。