初年度の86年夏の小樽調査では試行錯誤の連続であった。北大に移って3年目だったので指導する院生はいなくて、助手にも頼みにくくて、結局はすべてを一人でこなしたからである。
調査員にはゼミ生を中心として20人が集まり、旧式の小樽市「海員会館」の宿泊予約、小樽市役所市民課への調査の挨拶と500人のランダムサンプリングの実施、20人の調査員への調査地点の割り振り、3泊4日の業務として一人25人の訪問面接の指導と実施、目標回収率は70%としたので、最低でも17~18人からの調査票の回収、毎日の夕食時における反省会の実施など、目まぐるしいほどの忙しさであった。
しかし、とりわけ事故もなく、無事に3泊4日の小樽調査を終えて、みんなで小樽駅から札幌駅に帰って、そこで解散した。その後夏休みのゼミ課題として、小樽調査の経験から何を学んだかについてレポートを9月末に出してもらった。1か月あとに21人分の宿泊費を始めとして、学生たちへの交通費や謝金が支払われた。
データ入力
小樽での実際の有効回収は321票(64.1%)であった。2年目の久留米調査では66.5%、3年目の札幌調査も60.3%であったので、都市での訪問面接調査結果としては満足できる回収率であった。
調査が終了して、回収した調査票の記入漏れや書き間違いなどのデータクリーニングも自分で行い、総回収334票のうち有効と判断した321票を北大生協がビジネスとして始めていたデータシートづくりに発注した。
2か月後にフロッピーディスクに入力されたデータセットを受け取り、大型コンピューターセンターの端末機にそのデータを入力して、そこからSPSSソフトを使ったデータ分析を開始したが、これは調査が終わった秋から冬にかけての業務となった。何しろ初心者マークの技術だから、データ分析がなかなか捗らなかった。
科研費『報告書』の刊行
当時は3年間の研究成果は、すべて『科学研究費報告書』として3年目の年度末までに印刷製本する義務があった。札幌調査結果がコンピューター入力できたのは最終年度の12月であったため、札幌データはあまり使えなかったが、小樽調査と久留米調査結果を使って科研費の領収書として『報告書』を出した。