一時は首位の浦和に2桁もあった勝ち点差は、この勝利で「1」となり、最終節で逆転優勝することになる鹿島。まさに優勝へのキーポイントとなる一戦だった。

しかし、試合後も納得のいかない表情を浮かべていたのは、退場した新井場と船山。新井場は「勝てたからよかったが、判定基準が分かりにくかった」と不満を口にした。ちなみにこの試合で主審を務めたのは、現在、審判委員長を務める扇谷健司氏だった。


ザスパ草津 サポーター 写真:Getty Images

ザスパ草津(現ザスパ群馬)

2004年12月15日:第84回天皇杯5回戦横浜F・マリノス戦/ユアテックスタジアム仙台2-1

関東リーグ1部を飛び級し、2004年からJFL(日本フットボールリーグ)に参加したザスパ草津(現J3ザスパ群馬)。年間順位で3位に入り、翌2005シーズンからJ2に参戦するのだが、Jリーグ参入を前にインパクトを与えたのが、その前年の天皇杯だ。

JFLシードとして2回戦から出場し順当に勝ち上がると、4回戦ではJ1セレッソ大阪を敵地、長居スタジアムで破り(2-1)、早速のジャイアントキリング。そして5回戦で待ち受けていたのは、2003年、2004年とJ1連覇を果たした横浜F・マリノスだった。

前年の2003年大会でも市立船橋高校に大苦戦(2-2 PK戦で勝利)した横浜FM。この頃から天皇杯で“やらかす”チームという有り難くないイメージを持たれ、それは優勝した2013年大会まで続いた。

この試合、横浜FMは浦和レッズとのJ1チャンピオンシップから中3日で迎え、ケガ人も多く、モチベーションを保つのも困難だっただろう。かと言って、2つカテゴリー下のクラブには負けるわけにいかないと、控えメンバー中心ながらも奮闘した。

しかし草津も、元日本代表GKの小島伸幸を中心にゴールを割らせない。試合は草津が前半29分、FW宮川大輔の得点で先制するが、後半29分にMF山口貴之を、後半39分にDF籾谷真弘を立て続けに退場で失ってしまう。