江戸期にまとめられた〈尊経閣本〉が弥助の姿を大きく“盛った”背景には、単なる脚色好みではなく、徳川政権下の政治的空気が深く関わっていると考えられます。

天下泰平をめざす為政者にとって、「戦国の乱世は過去のもの」というメッセージを伝えるためには、むしろ過去の英雄譚を華やかに描き直すことが効果的でした。

そこで写本の中でも、信長を超人的な存在に仕立て上げ、彼のそばに“異国から来た力自慢の男”を配することで、戦国時代そのものを娯楽性の高い絵巻物へと作り変えたのです。

いわば、弥助は徳川政権が再構築した「豪華な英雄パッケージ」の脇を飾る存在として扱われた形跡があります。

同時に、「扶持さえ与えられていればサムライ扱いである」という誤解が広まったことも見過ごせません。

扶持(ふち)は、米や金銭で支給される生活手当であり、実際には小者や相撲取りなどにも支給されていました。

現代風にたとえるなら「会社の社員証をもらったら、いきなり役員になったと思い込む」ようなもので、江戸期に書かれた写本に「扶持があった」と書かれているだけで、直ちに武士身分と断定してしまうのは早計だという指摘です。

こうした“歴史の上書き”がさらに増幅されたのが、21世紀に入ってからのポップカルチャーとの融合だと言えます。

英語圏のノンフィクション、ゲーム、アニメなどは、きらびやかな〈尊経閣本〉の情報をベースに「黒人サムライ」という際立ったキーワードを世界中へ発信しました。

一方で、日本の歴史学界は地味な一次資料の検証を地道に続けていたため、両者のあいだにはあたかも「学問」と「娯楽」が別の宇宙を生きているかのような温度差が生まれたのです。

今回の研究は、そうした断層を改めて可視化し、「楽しむのは自由だが、史実とはきちんと線を引こう」と提案する意味を持っています。

では、ここから先に残る課題は何でしょうか。

まずは最古系に分類される〈池田本〉などの全文を翻刻し、誰でもアクセスできる形でオープンデータ化することが第一のステップになるでしょう。