この1980年の北大大会では、私が全く知らなかったもう一つの縁が生まれていた。それは倉沢発表への私のコメントを会場で聞かれていた、北海道大学助教授の大山信義先生とのご縁である。

なぜなら、大山助教授の上司にあたる教授が83年に定年退官されるので、そのころから後任人事をひそかに考えておられたのであろう。先生は北大とは全く無縁の九大出身であった私の1980年の学会大会発表を聞き、加えて1982年の『コミュニティの社会理論』を精読されて、私を後任候補の一人にされたらしい。

当時は今ほど厳格な公募制ではなかったので、このような事情もあったかもしれない。最終的には文学部教授会の選考委員会で決定されたが、これは全くの天運であり、その後は北大との太い縁が生じた人生になった。

運だけではなく、やはり縁が大きかった

久留米市在住ながら、このような全国的人脈に若い頃から恵まれたのはもちろん運がよかっただけではないであろう。それには「鈴木広さんの弟子」という縁が大きかったように思われる。もちろん依頼原稿や研究会発表などでは可能なかぎり準備はしたが、その根性を支えたのも縁であったと考える。

『コミュニティの社会理論』出版の縁と運

そしてこの当時の最強の運と縁は、『コミュニティの社会理論』出版のきっかけを与えていただいた、アカデミア出版会渡辺弘行代表のご配慮にある。

30歳の時、西日本社会学会大会でコミュニティ関連の研究発表を聞かれた直後に、「今の内容を軸として、数年で一冊にまとめてみないか」というお話をいただいたのである。「天にも昇る心地」とはこのような気持ちなのであろう。

それから2年くらいでかけて、冒頭に紹介した「Ⅳ コミュニティの権力理論」、「Ⅴ コミュニティ運動・参加理論」、「Ⅱ コミュニティ論の地平と問題」、「Ⅲ コミュニティの計画理論」、そして「Ⅵ コミュニティの社会関係論」などを書き続けて、1982年1月に脱稿して、11月に出版できたのである。