それまでの久留米大学の「社会学」は教養部教授の中村正夫先生が長年受け持っておられたが、図書館長などでご多忙になられたために、急遽私にその役割が回ってきたのである。
それまでは高等看護専門学院での「社会学」15回の講義経験はあったが、何しろ商学部と医学部進学課程の1年生向けの通年30コマの依頼であったから、不安でもあった。なぜなら、コミュニティ、都市、農村、社会調査などの学習経験しかなく、これらだけでは大学1年生への講義内容としてはあまりにも狭いという思いが強かったからである。
博士論文提出は還暦時という伝統
しかし幸いなことに、当時の九大文学研究科では博士論文などは5年で書くものではなく、還暦を迎えるころに500頁の大著を出し、それにより「文学博士」を取得すべきであるという伝統が生きていたので、博士課程3年生の過ごし方はまったく自由放任であった。
そこで毎週90分の久留米大学での「社会学」の準備を2日間かけて行うことにして、この非常勤講師をお引き受けした。
幸か不幸かこの判断により、それまでは「積ん読」状態であったウェーバー、デュルケム、ジンメル、パーソンズなどの古典を読むことができた。非常勤の1年間はそのような状態で過ごしたが、作成した講義ノートは後々まで役に立った。
しかもこの1年間の非常勤講師が縁となり、鈴木先生と中村先生のご尽力で久留米大学側からも評価していただき、1977年4月から専任の常勤講師として就職できたのである。
奉職して毎年1年間通しての講義4コマ、演習1コマ、外書購読1コマ、卒論指導1コマは辛かったが、何とかこなしているうちに、それまでに発表した論文をご覧になった東京在住の先生方から声をかけていただけるようになった。
秋元律郎ほか『政治社会学入門』(1980)へのお誘い
最初の執筆依頼は有斐閣からであり、早稲田大学秋元律郎先生の編著で、私にCPS研究関連での分担執筆を希望されているとのことであった。