物財(モノ)は社会システムの機能要件として位置づけていて、当時はシステムの生活要件ないしは宇沢弘文の「社会的共通資本」(1973)、あるいは松下圭一提唱の「シビル・ミニマム」(1971)をイメージしていた。そしてこの研究の背後には、OECDなどでも流行していた社会指標作成やQOL研究が存在していた。
また意識(ココロ)は従来の「共通の絆」を含む社会意識の延長上にあり、コミュニティ意識やコミュニティ精神と言われていた。鈴木はこれらをディレクション(D)とレベル(L)に二分して、コミュニティの方向性を表現する概念として「コミュニティ・ノルム」、住民の意欲水準を表わす概念として「コミュニティ・モラール」を造語した(鈴木編、1978)。
私の三角形モデルもまた意識面では「コミュニティ・ノルム」と「コミュニティ・モラール」を踏まえている。通説とは異なり、コミュニティの定義を「サービスの供給システム」としたのは、コミュニティが「共通の絆」という関係システムを超えて、地域社会成員の主要なニーズ充足を引き受けていると考えたからである。
『社会学評論』でのデビュー
さて、『コミュニティの社会理論』(1982)の概要は以上の通りだが、何しろ1972年入学の修士課程から久留米大学助教授時代の1981年までの10年間で、縁がありお世話になった方々は実に多い。
まずは鈴木広先生には感謝の言葉もない。なぜなら、博士課程1年終了時点で書いた「住民参加論の問題状況」を査読していただいき、そのコメントを活かし加筆して学会事務局に送ったところ、半年後に日本社会学会の機関誌である『社会学評論』27巻2号(1976年)に掲載されたからである。博士課程2年目が終わる時期であった。そしてデビュー作の「Ⅴ コミュニティ運動・参加理論」の原型ともなった。
この論文が、そのまま4月からの博士課程3年生ながら、久留米大学での通年30回の「社会学」の非常勤講師の道を開くことになった。ちなみに後で登場する藤田弘夫氏もまた同じ『社会学評論』27巻2号でのデビューであった。